カシ

かし、と、ひらがなで書かれると、普通は菓子か、貸しを想像するのではなかろうか。歌詞、樫、下肢、河岸、可視、下賜、仮死、華氏。

ちょっくら手元の書類をばらばらめくっていたら、瑕疵のことを、ひらがなでかしと書いてあって、混乱した。

常用漢字を用いて契約書をかくという心意気は買うが、さすがにそこは漢字を使わないのならば言いかえが必要でしょう。なんというか、いかにも中途半端。
そもそも、瑕疵という言葉の意味を知っていたら、漢字も知っているだろうから、なんとも意味がなく、ただ読みにくいだけ。はてさて。

別にタンパク質をしっかり蛋白質と、遮へいを遮蔽と書けといっているわけではなくて、心の持ちようの問題だと思うわけ。瑕疵という単語の意味をわかっている人だけを相手にするのならば、はじめから漢字で書けばよいわけで。

相手に、このくらいのことはわかるでしょう、と、理解を期待するのは、正しい態度とは思えないんだよなぁ、、、。
たとえば、知人にいつも難しい漢字が大好きなやつがいて、いろいろ使いまくっているのだけれども、やたらめったら漢字を書き並べる文章ってのは、頭がよろしいとは思えない。なんだろ、解説なしにみんなこのくらいわかるでしょうって感じで、独善的といってよいと思う。その文章を読んで、あとで漢字字典を引くようなことがあったら、はてさてその漢字を並べた人ってのは、頭がいい文章の書き方をしているといえるのだろうかね。
なるべく辞書を引く回数が少ない方が、文章としては上等でしょう。

他の例を出すと、仲間内でしか通用しない言葉を、仲間内でない場所で普通に使っているっていうのも、やっぱり違和感を覚える。話すほうがその単語が通じないと意識していなかったら、それはきっと常識的な日本語を使う機会が少ない人間なのでは、と疑われても仕方ない、、、と思う。ようは、相手に合わせて話すか、大体誰と話しても大丈夫なような話し方をしなさい。といいたいわけ。

相手を思いやる心が、といってもよいが、別にそうでなくても、自分の文章を相手に読んでもらうためにも、なるべく誰にでもわかる文章を書きたいものだよ。

で、今回のように「かし」とひらがなで書いた場合。常用漢字外の難しい漢字を避けようというのはいいんだけれども、常用漢字しかわからない相手を意識するなら、もっと言い回しを考えなさいな。ということ。

まぁ、法律用語には暗いので、なんともいえないんですがね。ってか、ただの変換ミスかもしれないわけだし。
今回の話は、ようは、難しい漢字を並べて喜んでいる人とかってのが、どうなんだろうって、そういうこと。

#もちろん、文学的な表現効果を狙う場合はその限りではないよ。
粛々、と、しゅくしゅく、で、ぜんぜん違うってのは、一目瞭然だよね?

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