amazon、ちょっとどうかと思うぞ。
一括配送で頼んだと思ったのに、わざわざ次の日に送ってくれるのに分けてよこすとは、、、。めんどうくさいなぁ、、。
それに最近、なんか知らないけど殺人事件をセンセーショナルに語るのが多くて、もっと別なことを記事にして欲しいんだけど、、、。事件前に家族仲が悪かった、とか、殺された人、犯人とはいえ、そこまでプライベートなことを全国でさらすものなのかねぇ。
そういった、PVが稼げそうな事件に関する一連の記事は、特集コーナーでもその都度設けて、ちゃんとまとめて行けばよさそう何ですがね。どうでしょうか。
さて、そんな日常のグチはおいといて、今日はなんか変な本を立ち読みしてなんか書き残しときたい気分なのでざらっと書いておく。
まぁ、変な本といっても、どっかの新書で、五人の人たちがテキトウに各新聞の社説をテーマごとに並べてそれぞれ論じるって形式の文章だったんだけど、なんか、フェミニズムのところだけ目に付いたので読んだ。(明日あたり忘れてなかったらほんのタイトルをメモってこようかと。)
まずはじめに、自分が男女平等についてどのように考えているのかということをあげておくと、
・男女の機会は平等であるべき。参政権、選挙権、教育を受ける機会、同じ労働に対して等しい給料を得る、など。
・性差は否定すべきでない。相違と差別は違う。たとえば育児なんか、女性の方が男性に比べて重要な役割を果たしうる。
・とかく文化に口をはさむのはどうかと、、。端午の節句をこどもの日。桃の節句はなんだっけ?とか。こいのぼり、雛人形、どうすんだよ、、、。
相撲の土俵にあがりたいって話だって、結構、うーんんんん。難しい話だと思うんだが。あがらせろ!と主張するのはよいが、現実にその文化を継承している人間の思想を無視するわけにはいけないでしょう。
・ってか、女性拡張論って名称が嫌い(男女平等論とでも訳すべきだったんだよなぁ、それとも、女男平等論?)。あとは、男性優位が前提の逆差別という表現。片方の性がとくに優位にない場合、それはただの性差別です。
んで、本の話。教育現場における行き過ぎた男女平等(彼らの言葉で言えば、女男平等?)で、たとえば体育の授業だったり、保険の授業だったり、女男混合名簿だったり、家庭科の教科書が、すべて女男の順で書いてあったり、とか、そういう事例を挙げて批判していたわけです。男の子は男らしく、女の子は女らしく、で何が悪い、とも。
あとは、日本のフェミニストが作ったジェンダーフリーって造語はどうよ?とか、フェミニストが声高に叫ぶことを一般の女性が皆うなずいているわけはないはずだよ、とか、、女性労働力率と合計特殊出生率は、正の相関があるとかよくいわれて、男女共同参画を推し進める原動力の一つとしてきていたはずだが、そのデータは実は恣意的な解釈をされたもので、OECD加盟国中のデータを集めると、相関がほとんど見えてないとか何とか。(ちょっと検索したらこんなの出てきました。このPDFの2ページ目。24カ国しか見えてないけど、その直線よく引けるな、、、。
http://www.esri.go.jp/jp/archive/hou/hou020/hou14b.pdf)
あとは、M字カーブが一様に悪いのか、とか、北欧は日本とは違うとか。子供がいても働けるように、といったかんじで育児環境の整備が言われるが、自分の子供をしっかり自分で育てるという選択を選ぶ親がいてもおかしくないという想像力が欠落しているとかなんとか?家事分担の話をよく言われてるけども、それは各家庭で決めるべきことであって、そういったところの思想を統一してしまうのはなんて社会主義?とか、政策として、ある職につく女性が少ないからそこに女性を増やそうと、数値目標をあげるのは、個人の職業選択の自由を奪っているのではないか、とか。
職業選択に関しては、女性科学者の例を挙げて、そもそも大学で理学部に入る女性は少ないけれども、たとえば家政学部なんかは女性の方が圧倒的に多いよ、とか。そういった、男女の興味における性差なんかは否定できないはずだよね〜、って話。
就職のときに、男女で基準が違うとか、男性有利、女性有利ってのは、頭悪いでしょ。能力で評価すべきなんだよね。ま、この本とは違う話だけども、女性パイロット(飛行機の話ね)が少ないのは、そもそも試験内容が男性が有利になるように作られているというよりも、女性はパイロットになることに興味を持つ人数が
男性より少ない、という面があるわけですよ。
某所では就職試験で同点なら女性採用、とか?それは差別ですよ。
(一方、試験やるとどうしても女性の方が点が取れる人の割合が多いから、困っている、という話もなんかで読んだような、、、。)
#ここで、一般には個人差が、性差よりも大きく働くことを強調しておく。突き詰めれば、こういった職業選択の話で男性が、女性が、といっているのはどうかと思うのだけどね。現状で就業機会に性差別があることを前提とした話をしているのだとも思う。(まぁ、この文章は、ある意味免罪符的なものと思うかもしれないが、朝のニュースでやっていたり、雑誌にちょっと書いていたりする占いの結果を否定する大きな根拠になるはず。個人差が血液型、誕生日の差より大きい、ってね。都合がいい占いだけ信じてればいいのさ〜)
そういった、興味に関しての性差を生むような文化、社会が問題だという向きもあるかもしれないが、どうだろうね。「地図を読めない女、話を聞かない男」だったか、その続編(?)だったか忘れたけど、イスラエルのキブツという共同社会では男女差別がまったくないように子供の教育とかがなされているけれども、それでも性差は生まれてくるのだとか。出典は違うかもしれないけども、はてさて。
最後にどうでもいいコメントとして、この文章書いた人間が男性であるか女性であるかによって、文章への評価、文章の読み方が変わるような人は、男女平等とは縁が遠そうですね、と思うのですが、いかがでしょうか。