カーネルおじさん人形を燃やしてKFCを抗議、動物愛護団体(ロイター) – goo ニュース(リンク切れにつきweb.archive.orgへリンク)
カーネルおじさん人形を燃やしてKFCを抗議、動物愛護団体
2006年10月27日(金)17:48(ロイター)
[ワシントン 26日 ロイター] 米国の首都ワシントンで26日、動物愛護団体PETAの活動家が、ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)に対する抗議活動を行った。
ニワトリの着ぐるみを着た活動家らが「KFCはニワトリを残酷に扱っている」と書かれたプラカードをかざし、店頭でKFC創業者のカーネル・サンダース氏を模した人形を燃やすなど過激な抗議を展開した。
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ここまでコピペ
この人たちは、肉を食わないのか、、、?
肉を食わないなら食わないでかまわないが、 他人の食生活、他者の食文化に口をはさむな、といいたい。
何様のつもりなんだろうか。
前にも書いたが、行き過ぎた動物愛護団体って、 かなり嫌いだ。
理性的とは思えない。
話が通じなさそう。
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11/1追記
一応、このエントリも参考に
Unknown
http://www.kfccruelty.com/canadacomplaint.asp
↑これ今年春の文書ですが、食べるなとは言っていなくて、ケンタッキーが嘘をついていると何度もいってる。動物愛護団体への「行き過ぎた」prejudiceがロイターの新聞や299792458m/sさんをまげていませんか。
Unknown
はじめまして。突然のコメント失礼します。
私自身は動物愛護の観点から、
肉魚卵乳製品を一切食べないのですが、
だから言って、友人や周囲の人間にそれを
薦めたりはしません。
もちろん個人的な願いとしては、
もっと非肉食者が増えてくれれば良いなとは
思いますが、やはり他人の食生活にまで
口出しするべきではないと考えています。。
なので、ト殺の残虐性や動物達の非人道的な扱い等について
機会があればそれとなく伝えたりはしますが、
それを知って、今後どうするかはその方の自由意志なので。。
決して「・・・だから食べないでね!!」とは言わないです。
ベジタリアンや動物を守ろうとする人間全部が
話が通じない過激な人ばかりではないので、それだけは誤解しないでいただければと思います☆
Unknown
>Lee
情報thanx
確かに引用文でも扱いについていっていますね。うそをついてるって言うか、誇大広告に近いものかな。自業自得って感じですね。
cluelty freeとか、そっちの方の話だとはすぐには思いつかなかったです。
偏見は持っていますよ、もちろん。その手の団体について、完全な情報を得るような暇はないわけですしね。報道が曲げた断片的な事実だけからしか判断できないのですよ。
>通りすがりのベジタリアンです。
屠殺とか、非人道的な扱いとか。食べる、もしくは、生きる、というのは、そういう残酷さの上に成り立っているのだと思っています。
極端なはなしですが、残酷で非人道的だからという理由で肉なり魚なりを食べないのであれば、植物は愛護しなくていいのかと思ってしまうのですが、この辺はどのようにお考えでしょうか。
(まぁ、もう見ることもないんでしょうけど。答えてくれると管理人がうれしがります。)
過激だったり、頭の中のネジが何本か飛んでそうな人たちの話しか、なかなか表立って出てこないので、動物愛護って聞くと、偏見をもって身構えて考えてしまうのは、事実。全部がそうじゃないってのはまぁ、当然そうだと思いますがね。
Unknown
タイトルに誤解があるかもしれないと思った、、。
勿論、古典的な意味で使っているのであって、決して片腹痛いわけではないのだが、、、。
なので、ちょっと修正しました。
レスありがとうございます。
>食べる、もしくは、生きる、というのは、そういう残酷さの上に成り立っているのだと思っています。
もちろんそうです。おっしゃる通りだと思いますよ。
太古の昔から人は獲物を捕らえて殺し、その肉を捌いて食べ、糧として生きてきたわけですしね。
ただ。。。少し調べると分ると思うのですが、
現代においてはちょっとね、、、。畜産も工業化されてるじゃないですか?
やり方が異常というか常軌を逸しているというか。
生きるため食べる為と言う大義名分があれば、
こんな惨い仕打ちをするものなのね、人間は・・って思うのです。
基本的に、人間は草食に近い雑食動物であるのに
その食性を無視して、皆こぞって肉肉いうものだから、
畜産業者は生産性を上げる為にありとあらゆる手段をとる訳です。
そのやり方に、命を戴く彼らへの感謝も配慮も微塵も無いですよ。
必要悪なんて言う人もいますが、私にはそんな言い訳は受け入れ難いです。
具体的な話をしてもご迷惑かもしれないし、話も長くなるので、あえて実例は語りません。
ただ、肉食するかしないか関係なく、全ての人が知るべき「現実」だとは思っています。
KFCに抗議した人達も、そういう事実を知って欲しい一心の行動なのじゃないかな。。
だからといって、カーネル人形を燃やすことに意味があるのかは疑問ですけども。。
>植物は愛護しなくていいのかと思ってしまうのですが、
植物は愛護しなくて良いなんて、動物愛護家の誰かに言われたのですか?
木も花も虫も川も海もすべて人間が守り慈しむべき存在に決まってるじゃないですか☆
普段の生活も環境には相当配慮して暮しているつもりです。
買い物ひとつするにも、その店や企業のサイトを見て
環境に対する取り組み、商品コンセプトを厳しくチェックして
自然環境に負担がなさそうだと判断できた物を買います。
時間かかるし、なかなか大変な作業ですがこれは自分に課していることです。
動物さえ幸せならそれで良いなんて思ってませんよ?
実際に私、蚊もゴキブリ(年に1回位しか見ないけど)も殺しません。
さすがに、歩きながら気づかすに踏んだ虫はいるでしょうね。(´;ェ;`)
食べる物については「自分で包丁持って刺せる」対象だけを戴きます。
例えばの話、目の前にリンゴ一山と、豚一匹差し出されて
包丁を渡され「今日のあなたの食事です。」って言われたら
リンゴむいて豚さんと分け合って食べます。
痛みに悲鳴をあげ、赤い血を流すものを私は刺せないんです。
だから食べない。動機はいたってシンプルです。
植物も痛みを感じるという説もあるし、もしかしたら感情もあるのかもしれない。。
けど私も何か食べなくちゃ生きられないので
動物と植物天秤にかけて、あまり痛そうに見えない植物を戴く事にしています。
矛盾のない完璧な人なんて居ませんよね?
だけど、みんな自己矛盾と葛藤しながらも少しづつ
自分を良くしよう成長しようと頑張っている。
動物愛護家でも、ベジタリアンでもそれは同じです。
完璧じゃないと主張することすら許され無いなんてことは無いはずです。
過激なアピールに引いてしまう気持ちも良く分ります。
けど、その時に偏見の目で見るんじゃなく、
「これだけ熱く訴えるからには、それなりの理由があるんだろうな。」
と、少し想像してみてください。関心を寄せてみてください。
言いたいことが伝えられたか分りませんが、
最後まで読んでくれてありがとうございました♪
長文・乱文失礼しました。
レスどうも
>通りすがりのベジ娘。再び さん
意外と(失礼!)しっかりと考えられているようですね。まずはなめたクチきいてすいませんでした。とあやまっておきます。
植物は愛護しなくてよいのか、というのは、残酷だから動物を食べられないというのであれば、植物を殺して食べるのは残酷ではないのか、という意味での質問でした。ジャイナ教徒のような、かなり厳格に他の生物を殺さないように生きている(肉どころか、根菜、ハチミツなどまで食べないような人々までいる)人々がいることを念頭においていました。不殺を謳うのならば徹底して、ということで、何も考えずちょっとイジワルいってみただけでした。
矛盾を抱きつつ、というのがもちろん人間として正しい姿だと思いますから、当然そこまでやる必要はないですし、ベジ娘さんが納得(もしくは妥協)できるところまでやれば、それでいいはずだと思いますよ。
まぁ、いらないことを書きました。ということで。反省。
個人的な意見を言わせてもらうと、
>痛みに悲鳴をあげ、赤い血を流すものを私は刺せないんです。
>だから食べない。動機はいたってシンプルです。
のくだりは、悲鳴を上げずに、おとなしくて血を流さない連中は好き勝手にしていいといっているわけでは訳ではないですよね?
シンプルな感情論を振り回すのもいいですが、それでは一面的な見方しかできなくなることが多いかと。しかもそのシンプルさのせいで、かなり融通が利かないわけでして、宗教と同じくなってしまうわけです。たとえば捕鯨反対とかは、感情論で反対している人達が多く、なかなか捕鯨したい日本とかの意見は聞く耳もってもらえないわけです。
畜産業者の話は、かなり仕方ない部分があると思いますがね。悪いのは何も畜産業者だけじゃなく、そのようにせざるを得ない食文化を醸成していった社会の構成員全体ということになってしまいますしね。まぁこれも、感情論って、ことなんですが。畜産でもなんでも、産業が工業化していったら、そこでの生産物は製品といったものに成り下がりますからね。あえていいますが、かわいそうだとか、そういった視点から見るなら必要悪です。仕方ないでしょう。彼らも生活しているわけですから。
>木も花も虫も川も海もすべて人間が守り慈しむべき存在に決まってるじゃないですか☆
うーん、まぁ、そういう考え方もあることはわかりますが。人間って、そこまで偉くないと思うんだけれど。欧米的な、人間が一段上に立っている、という考え方はちょっと嫌いです(なんといっても日本人ですし。いろんなところに神様がいるわけですよw)
環境を守るとか、環境にやさしいとか何とかいっているのだって、結局は「生活」環境をまもるのであって、「人間が快適に暮らせる」環境にやさしい、というものでしかないわけです。人為の対極という意味での自然環境に触れたければ、砂漠にいくなり極地にいくなり深海にいくなりしなければならないわけですよ。それらの自然が人間に優しい必要なんてまったくないですし、何も自然環境がいつも同じ状態である必要なんかないわけです。人間がいなければ。
もちろん環境保全の語られる文脈は、人間が垂れ流したなんやかやをどうするか、とかですから、そんな欺瞞があってもまったくかまわないっちゃかまわないんですが、それをうまいこと使って金儲けしようとしてる企業があるからあまり面白くない。ちょっとずれますが、最近増えてきている、CO2がらみの話は、あまり勉強しないで適当なことをぶち上げているところがあるようですから、あまり信用しないほうがいいかと。電気代とか安くなるならもちろん大歓迎ですけどね。
環境がらみの話は結構むずかしくて、毒性の強い殺虫剤として禁止されたDDTなんかが、現在認可されているほかの殺虫剤より毒性が弱くて、最近はマラリア対策で使用が検討されていたりするそうです。逆に、良かれと思ってやったことが、環境被害をもたらすことも多いですし。環境を語るのならばいろいろなことを勉強するしないといけない、感じですよね。
ええと、あんまり練れていないんですけど、とりあえずこれだけ。
長文のコメント本当にありがとうございました。